| |
|
|
|
 

|
ボージョレ地区に彗星の如く現れたソムリエ醸造家
彼はもともとソムリエで、3ツ星のレストランを渡り歩き、最後のスイスにある「ジラルデ」在籍時には、スイス最優秀ソムリエ選考会のファイナリストにもなったことのある逸材。
ボルドーのグラン・ヴァンなどのワインを供しているとき、マルセル・ラピエールやグラムノンなどの自然派ワインに魅せられ、自分でもこのようなワインを醸造してみたい、ヴィニュロン(ワイン生産者)となる事を決心。1997年、クリュ・ボージョレの北にわずか1haほどの畑を購入し、ワイン造りをはじめた。
彼のワイン造りは生産効率よりも本質を常に追及し、健全なブドウが天然酵母の力で自然に発酵が進むのを待ち、人為的・技術的な介入は避ける。糖度が高く、発酵が異常に長期間にわたる場合でも、急いで瓶詰めを行ったりはせず、ワインが安定し成長するまでじっと待ち続ける。「ワインがいつ完成するかは分からない」と彼は言う。まさに「生きているワイン」をジャンボン氏は手がけている。
彼は、ボージョレだけでなく、マコンにも畑を持っており、ここからは、とてつもない白ワインが産出される。ワイン名は”マコン・フュイッセ ラ・グラン・ブリュイエール”。ただ、AOCの定める最高アルコール度数を越えた場合には、格下の「ヴァン・ド・ターブル(テーブルワイン)」として売られることになる。
その中で特に品質の高いものに関しては、”ジャンボン・ブラン”としてリリースされる。それこそ、まさに驚愕の1本である。
彼のワインを始めて飲んだとき「こんなボージョレあるんだぁ」と感動したことを覚えている。ついに2004年秋に彼の醸造所と畑を訪問することができた。紳士的な人柄と、素晴らしい畑、そして素敵なワインを堪能することがでた。意外と地味ではあるが、ひと口飲めば忘れられなくなる味わいである。
|

|
自然派ワインに王子現る
映画俳優でも出来そうな端正な顔立ちとは全く対照的な、ゴツゴツしたグローブのような手。そのギャップが余計に、彼が本当に仕事をしているヴィニュロンである事を印象づける。
今年36歳のジェローム ジュレ氏が自然派の生産者に影響を受け、研修の後に父の仕事を手伝う為に家に帰ってきたのが1997年。父と二人で山を開墾し、5haの畑にブドウを植えた。ワイン造りも軌道に乗ってきた2006年、完全に自然酵母のみで発酵させ、亜硫酸も完全に無添加のワインを2種類造る事が出来た。いきなりすべてのワインを自然派にするのではなく、同じブドウで今までの造り方のワインと自然派ワインを別々に醸造したり、現在はまだ試行錯誤の状況ではあるが、魅力あふれるその美しいワインには、彼の素晴らしいセンスを感じる。
アルディッシュの新進気鋭ジェローム・ジュレ氏は同地方のジル・アゾーニ氏とドメーヌ・マゼルのジェラール・ウストリック氏との出会いから強い薫陶を受け、現在のワイン造りの原点が出来上った。
出会いの発端は、1989年に研修したジル・アゾーニ。香り豊かでなめらかなアゾーニのワインに強烈な印象を受けた。次にマゼルと知り合って、ヴァン・ナチュールというワインが、ジェロームの心を鷲掴みにし、胸に楔を打ち込んだ。しかし、雇われの身では、それを実践したくても思うようにはできずにいた。が、その後、コルナスで働いた2年間も有意義で、組合から独立して生産者元詰めの魅力をその際に実感した。
1997年、ジェローム氏は実家に戻り、ワイン造りに参加。徐々に蔵の経営を任されるようにるが、蔵を安定的に運営することを優先すると、元詰めをすることにも二の足を踏む。さらには、自分に美味しい自然派ワインを造ることが出来るか、できたとしてもワインが売れるだろか、不安が大きくてなかなか実行に移せなかったと言う。
その後充分な経験期間を経て2006年に組合から独立し、醸造・瓶詰めを始める。今回が自身の初のヴィンテージ。そして今後は、ヴァン・ナチュールを造れる品質の優れたぶどうが収穫できれば、どんどんチャレンジしたいと闘志を燃やす。
「ヴィニュロンというのは、とても魅力的な仕事です。他の仕事と比べれば家族(3歳と6歳の子供)と過ごす時間がグッと少なくなるのが残念だけど。」そう言う彼には、不安の色など全くなく、身体全体に充実したオーラが溢れていた。
|
 |
闇夜の月よりも寡黙、灼熱の太陽よりも情熱的な醸造家。
「どこまで登るの?」と心細くなってきた。そこはなんと標高400メートル。まるでゴルフの打ち下ろしロングホールのよう。そんな高台から見渡す畑はヴニーズ、ヴァントゥー、コート・デュ・ローヌにまたがり、アンモナイトが眠る畑や黄色い土など、多種多様な土壌が入り混じる複雑なテロワール。フランス南部ではあるが、冬には雪が降ることもあるほど。これはワイン用ぶどうの育つ限界点らしい。その40区画にも分かれる畑を、すべて手作業でビオロジックに取り組んでいる生産者だ。
寡黙ではあるが幾千もの星以上にキラキラと輝く瞳を持ち、ワイン造りに対しては誰よりも熱い熱い思いを抱くギィ・ジュリアン氏。桶売りしていた父の代からずっとビオロジックで取り組み、1980年よりすべて自分の名前で瓶詰めしている。1994年からは酸化防止剤も、瓶詰めの際に最小限加えるだけになった。
6〜7種類とも言われる複雑な土壌の畑からは、果実とそのそれぞれの土壌を旨く引き出したワインが造られる。ここは大昔、海の底だったと言う。葡萄の根が太古のミネラル分をたっぷりと吸い上げているのだ。なんと、その根の長さは10メートル!! このミネラルが、ワインに壮大な複雑味と旨味を与えている。また、彼は収穫量を徹底的に落とし込んで、葡萄を凝縮させる。たくましいほどの凝縮感に満ちていながら、口当たりは驚嘆するほど柔らかく、たっぷりとした果実味の中にタンニンとアルコール、甘味が官能的なまでに溶け合っている。こういうワインは絶対に数年では出来ない。長い間有機農法で土壌を大切に守り抜いてきたからこそ、出来るのだ。
グラスまで飛んでいきそうなミストラルが吹き荒れ、畑は見事に乾燥している。そんな中でのティスティング。1本1本、温度管理の為に、ボトルをそのたびにセラーに取りに行く繊細さが、味に現れる。ヤン・ロエルのアドバイスを取り入れ、現在は息子のトーマス君(これまたイケメン!)と励んでいる。ボーイッシュで飾り気のないマダムは、驚くほど料理上手で、訪れた大阪の女性フレンチシェフが彼女のレシピをちゃっかり拝借。今では、お店の定番メニューとなり、ギィ氏のワインと共に大勢のお客様に喜ばれているらしい。
パリの自然派で注目株のビストロでも、メニューに彼のワインの名前が並ぶ。あの肉料理で有名な「セヴロ」とか。しかし…オーダーすると品切れの確立が非常に高いらしい。パリで連日盛況なワインバー「ヴェール・ボレ」でも、彼のワインの品揃えは必須だと言う。日本ではリアルワインガイドにて、高得点で評価されている。
|
 |
神秘に包まれていた醸造家の偉大なる二世、登場。
アルザス地方の首都ストラスブルグより南コルマール方向に下った所にノータンテールという村がある。何とワイン通り(Route du Vin)という素敵な住所。訪問する前からワクワクする。
知る人ぞ知る‘ジュリアン・メイエー’はバイオダイナミック実践者の間では有名にも関わらず、雑誌などのメディア嫌いで、一切マスコミに出ていない醸造家。信憑性の高いClassementにも出ていない。勿論レベルからすると当然出てもおかしくないほど偉大な醸造家なのだが、サンプルを送ってないから出ないのは当然。例えばプリウリ・ロックが出ていないのと一緒で、宣伝する必要の無い造り主は、サンプルを送る必要はないのと同じ。
その幻の醸造家、噂にはかなり気難しい人と聞いていた。久しぶりに緊張した訪問になりそう。でも会ってみるとそんな噂とはかけ離れて、学者肌の素晴らしいインテリ醸造家。バイオダイナミックの実践者で理論ばかり先行しがちに見える最近、彼の実践の伴った理論には驚かされる。
勿論、彼の作ったワインは素晴らしいの一言。彼の所には有名ソムリエや有名レストラン、ワイン評論家が沢山コンタクトを取ってくるらしいのだけれど、彼はサンプルワインを送らないし、会っていない人へのワイン販売は一切行っていない。普通は喜んで送るのがほとんどのはず。でも彼はここに直接訪問してくれた人には喜んで自分のワインを紹介するけれど、郵送で送ったりは絶対にしないと言う。言われてみると正統派な意見。でもそれはあくまでも理想であって、ほとんどが実践が出来ないのが現実。それを頑なに行い続けているポリシーの持ち主だけに、尾ひれ端ひれが付いて、神秘的な噂さえ立ってしまったようだ。でも実際はオープンな職人気質。
1705年以来という歴史有る造り主で、もともとがほぼBIOの農法だったのだが、パトリックの代、1990年から完全無農薬(BIO)に切り替え、1999年から100%バイオダイナミック農法に。一見優等生に見えるが、実は学生の頃は勉強しない悪い生徒だったらしい。でも沢山のワインを飲んでいくうちに自分の中のワイン作りに目覚めたのだと語る。いまは、9歳・12歳・15歳の3女と奥様の5人家族。アメリカにも輸出されロバート・パーカーも高い評価を下している。彼から教わった事は沢山有り過ぎるのだが、素晴らしい名言のひとつを紹介したい。それは「土を醸造家が借りている」ということ。大きな自然界の中で、今、この瞬間借りさせて頂いている、だからいいかげんな仕事をしてはいけないと彼は言う。尊敬する醸造家が叉1人増えた。その名は、パトリック・メイエー氏。(お父様の名前がジュリアン氏)
|
 |
スペインのスター醸造家、発見!
幻のDomaine de la Combeの最初の醸造で最初の責任者、それがオリビエである。彼はそもそもバイオダイナミックによるワイン造りに興味があった。1998〜2000年までボルドー・リボンヌでワインの醸造を学び、研修先はボルドーのバイオダイミック実践者Cote de Marmande。彼がボルドーの後に目指したのはブルゴーニュ。Pinot NoirやChardonnayの単一品種に興味が向かったという。
そこで就職先に選んだのが、バイオダイナミックといえば天下のLEROY。しかしそこはたった1年で辞めることに。当時、畑だけで16名のスタッフ、醸造所には10名のスタッフが常駐、非常に理想的だったにも関わらず…。何故ならブルゴーニュでChassorneyのワインに出会ったから。彼のワインを試飲しあまりに感動しその足で訪問、すぐに働きたいと申し出た。それが2001年の8月の事。それから1年間Cossard氏と一緒に働き、直ぐにDomaine de la Combeの立ち上げスタッフとして派遣された。その2年後、独立を目指して南仏へ。ところが縁とは不思議なものでボルドー時代の友人から声が掛かかり「スペインで美味しいワインを作る気はあるか?」と誘われ、気持ちはスペインに。向かったのが、デルモ・ボドギデーズというワイナリー。いかにもロバート・パーカーが好きそうな樽香の強いワイン。そこにフランスで学んだBIOのワインを紹介したいとの思いで、スタッフとして加わることに。ところがそこで4・5代続くワイナリーの子息であるホアンヌ・アントニアと知り合う。2人は飛び切りの美味しいBIOのワインを、この遅れているスペインで作ろうと意気投合。17haの持ち畑のうち、10haは今まで通り協同組合に葡萄を販売し、残りの7haからのスタートだった。そこにあったのは地元の品種ボバル種というスペインの地元の黒品種。
アントニアの父が持っている畑は、幸か不幸か1度も化学肥料がまかれた事がなかった。樹齢20〜60年とバラエチィーに富み、たった1haに1600本しか植えない。南仏のような仕立て方。収量もたったの20hl/ha。バイオダイナミック未開の地と言ってもいいようなスペインの片田舎では彼らのような醸造スタイルは希有だった。がその初ビンテージ2005年のワインが登場。オリヴィエが1年目のワイン造りを全面的に手伝ったこともあり、Vinedos Ponceはリリースと同時にシンデレラ街道まっしぐら!2006年のビンテージからはアントニオが中心に作り、いまではスペインビオワインのパオニア的存在になっている。そして当のオリヴィエはいよいよ独立の道へ。その地は何とスペインの最高峰のリオハ。彼が作るワインは、今までのリオハのイメージを180度覆す。まさにフランスが産んだスペインのスター醸造家だ。
|
|
| |
|
| Copyright (C) 2008 vini japon2008. All Rights Reserved. |